現実主義だった私がタロット占いを始めた理由について
私がタロットカードと出逢ったのは、かれこれもう3年前の話になると思う。
縁というのは不思議なもので、コロナの始まりの頃のドタバタがあったおかげとも言うべき・・・、奇跡的なタイミングによるものだった。
だけど、その偶然(=必然)がのちのちボディーブローのような感じで、私の中でじわじわと効いてきたんだった。
私がタロットを始めた理由
もともと私は、どちらかと言うと現実主義者だったのでタロットカードとか占いにもあんまり興味がなかったしカードなんかに私のことが分かるはずないと思ってた。だって、ただの紙だし、私はめちゃくちゃいろんな事で悩んでいるし、全然違う物質だからなぁ・・・
正直「うさんくさいなぁ・・・」と思ってた。
今となっては、大切なタロットカード様に対してそういう事を言いたくないけど、当時はそう思っていた。
タロット占い(リーディング)の師匠との出逢い
ある時たまたまタロットリーディングをしてもらえる機会があって、かなり半信半疑だったけれど、せっかくなのでやってもらった。
それは以前のPodcastでお話したことがある、スイス人の方で友人の旦那さん。その頃はまだ台湾で、ちょうどコロナが始まった頃。
ロックダウンとかするギリギリ前の微妙な時期で、もともと台湾に来る予定だった日本人とか、他の外国人の方とかたくさんいたけれど、イベントとかが急にキャンセルになってしまったりとかいろいろバタバタしてるタイミングだった。。
で、ご家族で仕事絡みで旅行にいらしていた時のこと。ずっと前から計画されていた事で、もともと台湾であったはずの国際的なコンペのためにお仕事のために来ていたのに急になくなってしまったという。。。
で、リオさん(スイス人の旦那さん)と友人もショックがっていて、時間を持て余していて、私と元夫の人が「せっかくだし」ということで一緒に観光したりした。
なんか、今振り返るといろいろスゴイなぁと思ってしまうけど、コロナのギリギリ前だったこと、そういう事でもない限りたぶんタロットカードとは出会わなかっただろうなぁーという事。。
で、とにかく一緒にカフェに入って喋っててゆっくりしていたんだけど、タロットをやってくれるということで、お願いすることに。
初のタロットリーディングで泣いたこと
結論から言うと、、私は最終的に泣いてた。タロット(占い)リーディングっていう、ただの紙が出してくれた言葉(ヒント)によって、何かスゴい心に響いてきた・・・。
なんていうか、心が思いっきりグッて掴まれたような感覚があった。
私が、実はずっとずっとごまかしてきたこと、本当はツライと思っているキモチに蓋をしてきたこと。もしかしたら、その日たまたま雨が降っていたこととか、古くからの付き合いの友人と久しぶりに会えたこととか、いろんな心の状態も関係していたのかもしれないけれど・・・私は、ただ悲しいとか嬉しいとはまた違う、心の奥深いところ(自分でも理解できないような領域)が酷くザワツイていた感じだった。
とにかく、今まで見て見ぬふりをして通り過ぎてきたような感情を鷲掴みにされたような感じだった。
私の中の頑張ってくれてた私が、「気づいてくれてありがとう、密かに傷ついている私はここにいます、ずっと一人で頑張っているよ」って、そんな風に言われてるみたいだった。
無意識の領域との再会・発見
とにかく、自分でも気づいてなかった無意識の領域の声が突然出てきた。
ずっとずっと苦しかったし、自分が悪いんだって思い続けてきた。
私さえ我慢すればいいし、私が努力すればもっといい関係になれる筈だって言い聞かせていた。そういう無理してる自分、自分をいたわってあげられていない自分のことに気づいた。
それと同時におざなりにしてきた感情が急に鮮明にスポットライトを浴びて出てきた感じになって、自分と、知らない自分とが混ざって混乱して、でも癒やされていて、ぶわーって泣けてきた。
そういう感じだった。
とにかく、びっくりしたけど、不思議な体験だった。
その時は、でも、
正直まだまだ半信半疑で、にわかには信じたくない自分もいて、その感情にはちゃんと向き合ってなかった。
だけど、このときから、たぶん確実に動き出していたと思う。自分の中にある違和感とか、不協和音のようなモノが鮮明に映し出されて、ちゃんと見てこなかった繊細な感情と少しずつ向き合っていった気がする。
私が自分を少しずつ大切にし始めた瞬間だったと思う。
私は、やっと本来の自分と再び出逢った感じだった。『現実主義者』の自分なんて、本当は無理やり作り出していたニセモノの自分だったんだと思う。
元夫の人の影響もあったし、今まで頑張ってムリして社会に馴染もうともがいてきたせいもあっただろうし、いろんな人と比較して自己肯定感が低くて苦しかった自分が作り出してしまった、強くあるべき社会に適応しているフリをしていた自分だったんだと思う。
タロット占いが導いてくれたセルフケアの概念
たぶんこの頃から、無意識だったけど『セルフケア』の方法を自分なりに考えて模索していたんだと思う。
とにかく「この違和感とか、鷲掴みにされた感情の正体を知りたい」そんな感覚だったと思う。
タロットの事ももう少し知りたいし、自分が泣いた理由も知りたかった。
あれはただの偶然で、ただ精神的に弱っていただけなのかな?と考えたりもしていたし。
だけど、本当はたぶん分かってたと思う。だって、あの頃本当に自分の事を犠牲にしていたなぁって思う。
せっかく友人家族が台湾に来てるんだから、と思って一緒に過ごしていたし、私も嬉しかった。だけど、彼らの対応とか仕草とか小さな思いやりとか、言葉がけ1つ1つにいちいち癒やされて感動していたのは私自身だったんだ。
習慣になっていた『自分を犠牲にすること』の気づき
その日、なんだかんだ夕方になってしまって、「じゃあ、せっかくだし夜ご飯も一緒にする?」という事になって。それで、「どこがいいかなぁ」と言いつつ歩いていた時に目に飛び込んできたハンバーガー屋さんのポスター。
私が「わぁ、美味しそうやなぁ」と言いながら通り過ぎようとして。
そしたら「え、じゃあ、ここにしようや、ハンバーガー屋さんいいやん」と友人が言ってくれて。リオさんも普通に「うん、いいよー」という感じだった。
なんか習慣というのは怖いもので、、私たち夫婦の会話の中では自分の意見とか希望が通る事が殆どないのがデフォルトになっていたから、私も気づかないうちに「まぁ、でも、結局は自分が行きたいと思ったお店には行けないんだけどね」と
、普通にそう思っていた。
っていうか、もうそういうものだと思って諦めていた。
結局は意志の強い旦那さんの意見が採用されることがほとんどだったし、スルーされることが前提だと思っていたから・・・・
だから、そのときもめちゃくちゃビックリした。
「え、私の意見が採用された」
「私が行きたいと思ったお店に行っていいの・・・?」みたいな、、
私はその時も、感動のあまりに泣きそうだった、ていうか泣いてたけど、友人がびっくりするといけないからバレないように泣いてた。
そんで、自分はなんでこんな事で泣いてるんだって思ったし、今まで自分がないがしろにされてきたこととか、自分自身でもそれを当たり前だと思って受け入れてきてしまって、ずっと頑張ってムリしてきてた私の中の私「通称:自分ちゃん」のことをスゴく考えてしまった。
大変だったなぁ頑張ってきたなぁ、ずっと自分を犠牲にしてきたなぁって思った。
なんだろ、タロットの話からだいぶ逸れてしまったけど、
とにかく、この日の事とかタロットが言ってくれた言葉が、その後もじわじわと効いてきて、明らかに自分の何かがザワツイてるのがわかった。
もう今までのままではいられない。
ずっと放置し続けてきた自分の中の大切な自分ちゃんが、もう限界だと言っている。
私がタロット占い(リーディング)を始めた理由
最後に、やっぱりいろんな偶然が重なってタロット占い(リーディング)に導いてもらえた事は、私にとって大きなできごとだったと思う。
今振り返っても、自分から積極的に占いへ行くような人間ではなかったし、それは本当にきっと出逢うべくして出逢ったんだと思う。
*補足として、もともと全く占いを信じていなかったとかではなく、星座とかけっこう信頼していたタイプですが、何か少し悪い兆しのような言葉があるとそっちに引っ張られて余計悪くなりそうだから、ちょろっと雑誌の占いだけチェックしたりする程度だった感じです。
私が、私のHSP気質を生かしながらタロットリーディングでもヒントをもらって、個人コンサルなどでクライアントの強みを生かすための言葉をギフトとして提供できるっていう事が、最近もっぱら楽しくて仕方がない。
だから本当に、この気付きはもちろん他でもない私にとって非常に大切なギフトだったと思う。